いだてんHPより(https://www.nhk.or.jp/idaten/r/)

ついに最終回が終わりました。いちいちブログに書いちゃうくらい感無量です。本当にすごいドラマでした。このタイミングなので感想を書いていこうと思います。

 

【最初は観るのも嫌だった】

毎年、大河ドラマは山本が視聴する数少ないテレビ番組の一つ(大河以外で観るのは「ブラタモリ」、「Nスぺ」、「ダーウィンがきた」とかニュースくらい)で大体毎年視聴していたのだが、最初にオリンピックがテーマだと知った時は本当に嫌な気分になった。そもそも諸手を挙げてオリンピック万歳という雰囲気が嫌だったし、過去のベルリンオリンピック(1936年)ではナチス政権が国威高揚や政府のプロパガンダに利用されてしまったという歴史があった(特にベルリン五輪で初めて記録映画が作られたのだが、「民族の祭典」として戦略的に映像作品が拡散されてナチスのプロパガンダの一翼を担った)から、自分が楽しみにしていた大河ドラマがそんな国家事業の片棒を担がされて、それを観る自分も視聴率に貢献して片棒担ぐのかと嫌気がさしていた。

 

【着目点①:誰のためのオリンピックか、絶えず投げかけてきた】

結果としては、驚くくらい期待を裏切られた。この脚本を作った宮藤さんは天才的だし、本当によく考えられてたと思う。関東大震災(朝鮮人に対する虐殺)、五・一五事件、二・二六事件、ベルリン五輪(日本代表として朝鮮半島出身の選手がメダルを授賞した)、太平洋戦争、描くのが難しい場面、つまり日本が辿ってきた帝国主義とどうやって向き合って描いていくのかと気になっていたけど、全て微妙なバランス感覚で絶妙な描き方をしてて、本当にすごかった。これは実際に観てみないとわからないと思う。

国威高揚のプロパガンダドラマかと思ったら、そうならないように宮藤さんも意識していることが強く伝わってきた。ドラマでは絶えず誰のためのオリンピックなのか、ということを常に投げかけていた。例えば田畑(主人公でオリンピックを東京に承知した人:阿部サダヲ)が大蔵大臣の高橋是清からオリンピックの予算を獲得するために「金も口も出したらどうですか、先生方もスポーツを政治に利用すればいい」と説得した時には、主人公にこんなこと言わせるのはいかがかと違和感を抱いたけど、戦後になって「間違いだった」と違和感の伏線を回収するという抜かりなさも舌を巻いた。

 

【着目点②:日本のフェミニズム史も描いていた】

このことにも着目してる人、他にいないんじゃないかなと思ったら、既に記事がありました(笑)https://bunshun.jp/articles/-/16901

このドラマは日本のスポーツ史と並行しながら女性が自立していく歴史も描いていた点もこれまでの大河ではなかなかなかった描写だった。これまでの大河は時代背景としても女性の自立を描くには限界があった(「おんな城主直虎」みたいのもあったが)から、女性の自立を描くという試みは大河ドラマでは極めて斬新だった。女性がスポーツをするということに対する世間の心無い声やそれに抗う女性の姿を通じて、近代日本の女性の自立の側面を上手く描いていたなと思う。日本初のオリンピック女性選手で初メダリストの人見絹枝さん、初の女性金メダリストの前畑秀子さん、東洋の魔女たちのそれぞれの時代で背負わされた悩みや葛藤が本当によく描かれていたと思う。

 

【着目点③:芸術性が本当にヤバい】

普通の大河ドラマは主人公が一人、物語も一直線的でそれぞれのストーリーがブツ切りだった。例えば戦国時代だったら、主人公が戦国武将の誰かで物語の進み方も「桶狭間の戦い→美濃平定→上洛→長篠の戦い→本能寺の→賤ケ岳の戦い→秀吉天下統一→朝鮮出兵→秀吉死去→関ケ原の戦い→江戸幕府誕生→大坂の陣」みたいな流れでそれぞれの物語でもある程度完結していた。でも今回の大河は主人公だけでも金栗四三(日本初五輪選手:中村勘九郎)、嘉納治五郎(日本体育の父:役所広司)、古今亭志ん生(落語家、語り部:ビートたけし)、田畑政治と何人もいてそれぞれの物語が並行で進んだり交わったり、シンクロしたり、回想したり、観る側も相応の負担があったけど、作る方は本当によく練りに練って作ったんだろうなということが伝わってきた。深刻なテーマで悲壮感の中でいきなりコミカルさを演出したり(美川君)、落語と物語をシンクロさせたり、視聴者を飽きさせずにこんな面白いドラマはこれまでなかったかもしれない。視聴率で叩かれがちだったけど、映像作品としての芸術性は他の大河ドラマに比類がない。この難しいテーマを描き切った(走り切った)宮藤さんには称賛を禁じ得ない。

 

 

【このドラマで知ったトリビア】

歴史オタクとしては大河ドラマで新しい知識を得るということはほとんどなかったんだけど、今回はスポーツ史というニッチな分野を取り扱ってたから初めて知ることも多くて、本当に勉強になりました。

 

・小学校の体育館にある木製のあの梯子みたいなやつ、単に上り下りして遊ぶやつじゃなかった!

「肋木(ろくぼく)」という名前で明治時代に取り入れられたスウェーデン体操に使う補助器具だったらしい。何列もあるのは一斉にみんなでぶら下がったりポーズを取ったりするためのようだった。

 

・世界初のオリンピックによる死者は熱中症(日射病)だった

1912年のストックホルムオリンピックでのマラソンでポルトガル代表だったフランシスコ・ラザロ選手が競技中に日射病で倒れて亡くなった。貧しい大工出身だったと知っていたたまれなくなった。ラザロ選手以外にも日本の金栗含む半分以上の出場選手が棄権するくらいの猛暑だったらしい。こういう歴史を知ったらマラソンが札幌になるのも仕方ないのではと思った。

 

・64年東京オリンピックは10月開催だった

上の世代の人にとっては当たり前だったのかもしれませんが、夏に開催されてるオリンピックしか知らない人間には驚きでした。スポンサーの都合(アメリカのテレビ局?)で8月になってるとかなってないとか…今回のオリンピックも10月にすれば暑さ対策等万事解決なのでは??

 

・64年東京オリンピック閉会式の日に北ローデシアがイギリスから独立してザンビアに

新しい旗もプラカードも急遽用意してザンビアとして閉会式に臨んだという。よく間に合ったと思う。

 

・オリンピック史上最も長時間のマラソン競技記録が54年8か月6日5時間32分20秒3

日本初のオリンピック選手として1912年のストックホルム五輪に出場した金栗四三は協議中に熱中症で行方不明になったまま運営側に棄権を伝えてなかった。そのため54年後の1967年のストックホルムオリンピック記念式典に招待されてゴールテープを切り、公式記録が「54年8か月6日5時間32分20秒3」となった。

 

この一年間、本当にすごいドラマを観せてもらいました。

来年の大河ドラマ『麒麟がくる』も明智光秀の活躍に期待したいですね。