今日は多摩川の河川敷に住んでいた音無(おとなし)さんの葬儀でした。
先月14日、多摩川の木に引っかかっているところを発見されました。
台風19号による増水で逃げ遅れたことによる溺死だったようです。
自分も何か事前にできることがあったのではないか…
事前に増水することや避難を呼びかけることはできたと思います。
しかし、彼の性格として、その呼びかけを受け入れたかどうか、受け入れなくても無理矢理にでも避難させることもできたかもしれない。
色々と思うところや後悔、反省はたくさんあります。
彼とは数年前の年末の河原周りでお会いし、屋根もなく、満足な布団等もなく、
「修行している」と言ってさんきゅうハウスの差し入れもほとんど受け取らなかったと記憶しています。
初めて話したときは学問にも通じている様子で、古代ギリシャのディオゲネス(路上で暮らした哲学者で、かのアレクサンドロス大王が「何か力になれることはないか」と聞いたら「日光浴をしているので、どいてください」と答えたという逸話があります)を彷彿させました。
この界隈でもその博識さや風貌から「仙人」という愛称で呼ばれていたそうです。
年齢、生い立ちは不詳で「音無」という名前すら本名かわからない、ほとんどご自身のことを明らかにされなかった謎に満ちた方でしたが、このようなことになるのであればもっとコミュニケーションを取っておけば良かったと後悔の念がつのります。
参列者はさんきゅうはうす、府中緊急派遣村、有賀精一さん(日野市議)、河川敷の仲間、日野市職員の10人程でしたが、皆さんそれぞれが音無さんとの思い出があり、彼の犠牲に対する思いもそれぞれ胸中にあるようでした。
さんきゅうハウスでは今回のこと(台東区等の対応も踏まえ)から、台風や震災時の際にはさんきゅうハウスを一時シェルターとして開放することになりました。
音無さんのご冥福を心からお祈りします。
P.S
こんな時ですが29歳になりました。
とても祝うような気持ちではありませんでしたが、生きづらさや困難を抱えた人たちのために力を尽くす一年にしようと改めて決意する一日になりました。