立川市議の山本ようすけです。

この度、現在配布中の市政報告「緑たちかわニュースNo.15」について、「玉川上水」を「多摩川上水」との誤記載がございました。

お読みいただいた皆様やお気づきになられた方には大変ご不快な思いをおかけしてしまったと存じます。

深くお詫びを申し上げます。

自分自身でも、このような初歩的なミスをしてしまったことに大変恥ずかしく、また驚きの念を持って受け止めています。

 

【事の経緯】

先日発行いたしました山本ようすけの市政報告、「緑たちかわニュースNo.15」の表面の地図において本来「玉川上水駅」と書くべきところを、「多摩川上水駅」との記載になってしまっていました。

今回のニュースは昨年6月に発行した「緑たちかわニュースNo.13」と同様の地図を用いて発行したのですが、No.13の方は「玉川上水駅」との正しい記載でした。この記載を流用したはずだったのですが、編集過程のどこかで「多摩川上水」と誤変換されてしまっていたようです。

↓緑たちかわニュースNo.13(23年6月発行) この時は間違えていなかったのですが…

↓今回問題の「多摩川上水駅」との表記。

前号の流用箇所だからと、私の方で油断があり、チェックも不徹底になってしまい、市民の方からご指摘をいただくまで気づかずにおりました。

率直に申し上げて、玉川上水は私も立川の中でも最も好きな場所の一つであり、今までこんなミスはほとんどしたことはなかったのですが、

今回このような初歩的な誤字をしてしまい、玉川上水に親しみを持ってもらっている市民の皆様にも大変申し訳ないと感じています。

 

【今後の対応】

現在、配布業者さんにポスティングを依頼中ですが、きりの良いところで配布を差し止め、

新しく修正したものと差し替えさせていただく予定です。

元の「多摩川上水駅」と誤記された残部については、古紙回収業者さんを手配し、きちんとリサイクルされるようにし、

また修正した再発行のニュースについては政務活動費ではなく、自費での対応をさせていただく予定です。

既に配布者さんに渡されてしまっているものについては回収まではできないと存じますので、もしかしたらまだ誤記載のものが配布されてしまうかもしれません。

今後としてはチェックの徹底はもちろんのこと、第三者への校閲をお願いするなどの対応などにより、こうしたミスのないよう、努めてまいります。

 

【「多摩川」、「玉川上水」の記載について】

普段は間違えることはないのですが、「多摩川」と「玉川」。玉川上水は多摩川から取水してるし、例えば多摩川沿いには「二子玉川」や「多磨霊園」などもあり、語源は同じなのか、あるいは関係は何かしらあろうと思い、これを機に改めて調べてみました。

最もわかりやすく載っていたのがこちらの読売新聞の記事と朝日新聞の言葉マガジンでした。

「多摩川」から取水する水道は「玉川上水」…「たまがわ」の漢字表記はなぜ複数?(読売新聞)

https://www.yomiuri.co.jp/national/20221009-OYT1T50267/

 

「多摩」か「玉」か 多摩川を歩く~玉川上水(朝日新聞)

http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/moji/2011040900007.html%3Fpage=1.html

 

それによると、多摩川について言及した最古の文献は万葉集で「多麻河泊(たまがは)」と記載されているとのこと。

「たまがわ」という呼び方は7~8世紀(奈良時代)には存在していたとのことですが、

当てる字については時代で様々に揺れていたであろうとのことです。

 

「玉川」という表記について、歌によく詠まれた全国の6か所の玉川が存在していたようで、その6か所が井手・三島・野路・高野・調布・野田。

調布の玉川が今の多摩川とのこと。

明治期になると玉川村(現:世田谷区)、多磨村(現:府中市)、多摩村(現:多摩市)などが誕生し、現在の地名の名残になっているようです。

明治前期に陸軍の地図などでは、河川名は「多摩川」、「玉川」、「六郷川」との複数の記載があったようですが、明治後期から「多摩川」に統一が進み、戦後は完全に「多摩川」という記載に落ち着いたとのこと。

 

~玉川上水に関して~

江戸時代に玉川上水ができると、施工者兄弟が玉川姓を授かったが、

「多摩川上水」という記載された資料もあるとのこと。

ちなみに玉川兄弟の像の碑文には「多摩川上水」との記載だと。

結局は美しい意味である『玉川』が好まれたのだろうとのことでした。

語源についてはもちろん「多摩川(玉川)」から引いたから、という説だけでなく、「将軍様が飲む水だから」という小粋な説もあるようです。

 

【終わりに】

由来を辿っていくと、表記や呼び方は深い歴史を経た上で成り立っているものであることがわかります。

私も大の歴史好きとしてこうした文化的背景や歴史の重みは十二分に大切にしたい思いはあるのですが、今回のこの誤記についてはまさしくそれを軽視すると捉えられても致し方ないことであり、自分自身でも大変悔しく、また恥ずかしい思いを抱いています。

また、玉川上水に親しんでいる市民の方や歴史や文化を大切にしている皆様にとっても、大変不快で嫌な思いをさせてしまったかと思います。

そのことを想像するに、申し訳ない気持ちで一杯になります。

 

今回、せめてもの償い、というわけではありませんが、

この記事をお読みいただける人が少しでもいらっしゃって、「多摩川」、「玉川」の記載について、少しでも興味をお持ちいただいて、玉川上水にも親しみが少しでも湧くようになれば、

との思いで、多摩川(玉川)記載の歴史について長々と書かせていただきました。

 

この度、ご不快に思わせてしまった方に対しては本当に申し訳ございませんでした。

深くお詫び申し上げるとともに2度とこのようなことのないよう、万全に努めてまいります。